静岡県公立高校入試と応仁の乱

静岡県公立高校入試と応仁の乱

今年の静岡県公立高校入試問題社会、歴史の出題で応仁の乱が出題されました(戦国時代のできごとを年代順に並び替える問題)。昨年は応仁550年、他にも100年前の1918年に内閣総理大臣に就任した「平民宰相」の氏名を答えさせる問題(答:原敬)もありましたので、出題者が去年から今年が節目の年になる出来事を意識して問題を作っていることがよくわかります。それにしては2年連続で幕末明治維新の問題が何一つ出ないということに違和感を覚えずにはいられません。大政奉還150周年、明治150年という節目の年なのに。
先述のとおり、昨年は応仁550年だったので関連書籍も多く発売されました。中でも中公新書の「応仁の乱」(呉座勇一・著)はベストセラーとなり話題になりました。自分も応仁の乱についてはよくわからない部分が多いので読むつもりでいましたが、そこまで興味のある時代ではない=図書館で借りて読めばいいや、と思っていたところ、予約初動に遅れるという痛恨のミスをしてしまいました。
先に中公新書「観応の擾乱」(足利尊氏と足利直義の日本史上最大の兄弟ゲンカ)の方を読んで予約が来るのを待つがちっとも順番が来ない。そうこうしてるうちに受験シーズンで忙しくなり、ようやく富士市立図書館の方から借りて,もうすぐ読み終わります。ちなみに静岡市立図書館の方はまだ順番待ちのようです。
さて、応仁の乱について世間一般の皆さんはどの程度知っているでしょうか?個人的にはこんな感じではないかと思います。
歴史に興味のない人:
歴史でやったことだけは知ってるけれど内容は忘れた。
高校まで真面目に歴史を勉強した人:
室町幕府第八代将軍足利義政の後継者争いが原因で長く続いた戦乱。室町幕府の権威が完全に衰退し、戦国時代始まりのきっかけとなった。
かなりの歴史好き(自分はここに入るります):
戦国時代の始まりはむしろ永享の乱の方。将軍家だけじゃなく管領家である畠山家、斯波家の家督争い(特に畠山義就と畠山政長)も影響しています。途中で両軍の総大将、山名宗全と細川勝元は死んでしまうし、両陣営が入れ替わるわ、後南朝が絡んでくるわ、最初から最後までグダグダなのに加え、諸事情が複雑に入り乱れてよくわかりません。
ここからはほぼ読み終わっての感想です。「やっぱりよくわからん。」ネタバレになりますが、興福寺(大和国には守護がいないので実質的な大和国守護)の僧の日記を基に述べられていますが、大和国の支配をめぐる勢力争いも応仁の乱の一要素であり、興福寺が大いに関わっている、ということは理解できました。でもこれって、「ただでさえ複雑な『応仁の乱』をさらに複雑にする要素が増えた」、ってことじゃないの?結局よくわからないままです。おそらく、ずっとわからないままなんじゃないですかね。
確実に言えることは、応仁の乱からの流れが室町時代から戦国時代への移り変わりを加速させた、ということだけではないでしょうか?応仁の乱のキーマンに足利義政の側近で幕府政所執事伊勢氏(北条早雲の出自)、途中寝返って大きな影響を戦局に大きな影響を与えた斯波家の家臣で越前守護代・朝倉孝景、大軍で乱に介入した周防守護・大内政弘などがいます。これらの人物達の子孫が活躍するのが戦国時代なわけで、やはり戦国時代へ転換する大きな流れを作った乱である、ということだけはかわらないのではないか、と思います。